赤い丘

日々の雑記。歯科医師。文学。哲学。酒。

ベアフットランニング

僕は過去に膝を痛めたことがあり、それ以降、運動とどう向き合おうかと悩んだ時期があったが、ランニングの世界でベアフット系ランニングというものの存在を知り、それを実践していくことで、膝の痛みを克服することができた。

ベアフットとはハダシのことである。ベアフット系ランニングとはとは、ワラーチや裸足系のシューズを履いて行うランニングである。

ハダシ感覚でランニングを行うことのメリットは、とにかく怪我をしにくい走りを身につけることができるということに尽きるであろう。

下手な走りをしていると、すぐに足裏や膝にその結果が表れる。足に悪い走りや非効率的な走りをしているときに、足裏のマメや、膝の痛みという形で、僕にシグナルを出してくれるのだ。一般的なシューズを履いてランニングを行った場合にも、そのような症状は出てくるだろうが、それに比べて段違いに早く体のサインが出てくるのだ。

技術の進歩で、年々よい製品が登場するが、肝心の人間はというと、便利を享受するおかげで、かえって、能力の低下を招いていると言えるだろう。

これは、何もランニングに限ったことではない。同じような例で頭に浮かぶのは、古く遡るが、言葉を発明したことによる功罪である。ソクラテスが、言葉の発明による弊害を説いていたのを思い出すが、これはまさしく現代にも通じることである。

できるだけモノに頼らず、自分自身を変えていくことで、走りを変えていく。現代社会であるにもかかわらず、いや、現代社会であるからこそ、と言ったほうがいいかもしれないが、ベアフット系ランニングが流行ってきていることに代表されるように、人間本来の可能性を引き出す方向へ価値がシフトしつつあることはおもしろいことである。

広い意味で、科学技術の発展およびそれによる便利さと、人間が生きることの根本の対立を見ているようで甚だ興味深いものがある。