赤い丘

日々の雑記。歯科医師。文学。哲学。酒。

年の功

今の自分が将来どのような人物になるのだろうと考えたことは一度や二度のことではない。空想家と言われても仕方ないことであるが、年がら年中理想の自分を思い描き、そして現実の今の自分というものを省みて自分の行動を反省することを繰り返してきたように思う。

年には功があるという。年をくってもロクでもない人間がいるのも事実であるが、この言葉が存在するのは、年齢を重ねることで得られるものがあるということを示してくれていると考えられる。きっとロクでもないと感じるのも、あくまでその人物の一面であり、それがまわりの人間にとってよいことか悪いことかは別として、経験に裏打ちされた功の部分も存在するのであろう。それはきっと年齢を重ねたその人物自身が一番よくわかっていることであろうし、他の人物からしてみれば、功の部分など垣間見えることはないかもしれない。

すなわち、人生を生き切っている者の実感として、年には功があるといえるのであって、周囲の人間による評価や人物像などは関係ないことなのかもしれない。

そう考えると、年をとることでどのような実感が得られるようになるのか、どのような心境の変化が訪れるのか、先人達の残した言葉を眺めていると、興味が尽きない。僕も同じような感想を得ることができるのか、はたまた180度違った視点で物事を考えるようになっているのか、アンチエイジングが盛んな昨今、年をとることに前向きであることができるのは、未来の自分が楽しみであるからに他ならないのかもしれない。