赤い丘

日々の雑記。歯科医師。文学。哲学。酒。

梅雨

今年の梅雨は、あまり雨が降らなかった。今年に限らず、近年、いわゆる梅雨とイメージされるようなシトシトと降る長雨はあまり見られないような気がする。広島の豪雨災害などに代表されるように、猛烈な雨が短期間に降るというパターンが多い。梅雨の雨は、生命にとっては本来的には恵みの雨となる。雨は、自然現象であり、それを忌み嫌うのは人間くらいであろう。生命に必須の水を供給する雨は、ほとんどの生き物にとっては、恩恵足り得るはずである。

僕は、雨の日が嫌いでない。晴れの日に見られる気持ちのいい青空を眺めることも大好きであるが、一日中降り続く雨音を聴きながら、家でゆっくりと過ごすのも気分がいいと感じるタチである。街のがやがやとした人間の雰囲気があまり好きではないので、雨の日のしっとりとした雰囲気は、心地よくさえ感じられるのだ。大多数の人間にとって、雨は生活の妨げになるため、そんな日には、街には人間のがやがやに代わって、雨の音や土の匂いなど自然が優勢となり、街に自然の潤いを与えてくれる。

しかし、昨今のゲリラ豪雨は、そんなことも言ってられない。自然が脅威となり、人間や動物に襲いかかってくる。そのような雨は、考えただけでも恐ろしい。

考えてみれば、梅雨に限らず、一年を通じて、気候は狂ってきているのかもしれない。夏なのに涼しい。冬なのに暖かい。異常気象といわれ、数十年に一度の◯◯と報道されるそのような気象は、もはや異常(非日常)ではなく、正常(日常)といってもよいくらい頻発している。四季がなくなってきているのだろうか。詳しいことはわからないが、あれっと思うような気候は今後、ますます増えてきて、いつしかあたりまえの風景になるのかもしれない。