赤い丘

日々の雑記。歯科医師。文学。哲学。酒。

4月。新生活がスタートした。

学生、社会人を問わず、すべての人にとって、春ははじまりの季節である。春は、生命の躍動、そして神秘を感じさせてくれる。春は、自然界において様々な生き物の始動の時期であるのと同様に、われわれ人間にとってもいろいろな意味で、新たな経験をもたらしてくれる。

春の風物詩といえば、何をおいても、桜である。

人々は飽くことなく、この季節にきまって桜を見る。

何が人々をこれほどに惹きつけるのだろうか。

思うに、それは一度きりの自分の人生が、永遠に巡る季節のうちに花開く桜の花の回帰性と不思議な交差をして、不思議な味わいをもたらすことに起因するのではないだろうか。

毎年毎年変わることのない桜を見る自分は、確実に歳をとっている。永遠性と一回性はこの季節に交錯し、自己を再認識させてくれる。

いわば、桜は人生の定点観測のためにあると言ってもよい。その存在は、それを見る者の生命を彩り豊かに燃焼させてくれるのである。

今年も僕は桜を見に行く。それは、つまるところ、自分自身を見に行くことに他ならないのである。

花見をするのに酒も友も必要ないのである。