赤い丘

日々の雑記。歯科医師。文学。哲学。酒。

ロングスリーパー

僕は典型的なロングスリーパーである。

基本的に、1日の睡眠時間が9時間から10時間以上ないと、快適な朝、ひいては1日を過ごすことができないのである。眠くて気絶しそうな中で、仕事をするというのは、大変な苦痛である。

時間があるときは、ゆっくりと眠ることができるのだが、時間があるときばかりとは限らない。否、時間があるときのほうが少ない。

仕事がらみ、人づき合いなどで、満足のいく睡眠がとれることが最近は特に少ない。

ロングスリーパーに対するショートスリーパー。彼らからすると、僕のようなロングスリーパーは人生を損していると感じるかもしれない。自分の意識的な時間というのが少ない、やりたいことができない、活動的な人生が送れなさそう、という風に。

しかし、僕は、ロングスリーパーロングスリーパーなりに楽しいと思っている。何をおいても、眠りにつくのが、非常にわくわくする。1日における至福のときなのである。

また、人生において、意識的な時間がすべてである、あるいは重要であるとは思っていない。無意識の時間というのは、ある意味死んでいるようなものであるが、人生における重要な要素がたくさん含まれているといえると思う。無意識な時間とは、その名の通り、意識されない時間である。人間は基本的に自分の意識がすべての世界で生きているが、どっこい無意識の世界も存在している、いやむしろ、無意識の世界は多数でほんの一部が人間の意識の世界であるといっても過言ではあるまい。

意識の世界で社会生活を営むわれわれ人間にとっては、たしかにショートスリーパーの方が社会的には有利である気がする。しかし、社会生活はあくまでも社会生活である。仕事ができる、お金持ちになる、そんなことはあくまでも人生の一部分にすぎない。ロングスリーパーとして生きる僕は、人生を根底から見つめ直すいわば形而上学的な感覚をたぶん他の人よりも有しているような気がする。