禍福は糾える縄の如し
人生の幸福というものは、一体どこに存在するのであろうか。
何をもって幸福とみなすのか。欲しい車が、家が、手に入ったとき?それとも大金持ちになったとき?
自分の好きな人と結婚できたとき?
幸せの対象が外的なものに依存している場合、絶えず相対的に幸不幸の判断がなされてしまう。
幸せとは、充溢したある種の状態であるとするならば、幸せを求める気持ちがあるということ自体、そも、幸せになり得るのかという問題が出てくる。
感覚的に言えば、幸せとは、欲して手に入るものではなく、ふとそこにあるのが気づかれるものである。そういう存在であるはずだ。
人生の幸不幸に関する諺に、「禍福は糾える縄の如し」というのがある。幸せと不幸は、より合わされた縄の目のように、交互に訪れるものだという意味である。
ふとした瞬間に幸せだなと気づく、逆に、突然自分は不幸であると認識する。言われてみれば、人生うまくできている気もする。幸せばかりの人生なんて滅多にないだろう。幸せだと感じるその状態が続いてあたりまえになると、それが幸せだと感じにくくなる。そして、ふとした瞬間に不幸を自覚する。
逆もまた然り。
幸せになりたいと欲する人が世の中には溢れている。しかし、幸せを欲するほど、幸せから遠のいていくというのは、人生における大きな逆説である。